桜楓会

広島支部 折り鶴~会員の広場~2022.09

  • 広島支部

現地特派員の眼・桜楓会発足当時と広島支部
―意外に深い関係だった―      
(新37国 古池由美)



 
 今春より豊島区に住んでいる。豊島支部に移籍するのが妥当なのだが、せっかく桜楓会本部の近くに住むのだし、広島支部の副支部長を継続して本部と支部の橋渡し役になれればと、広島支部に残留することに決めた。
 なんやかんや言っているが、結局は、広島支部が好きなのである。
 さて、本稿では桜楓会発足当時と広島支部との関わりについて述べさせていただく。会員の中から上記について知りたいという要望があったからである。
 6月8日に桜楓2号館で行われた成瀬仁蔵研究会に出席した。長野和子氏によるものでテーマは「新庄高等女学校校長豊留アサ―今も受け継がれる豊留の教え―」だ。もちろん会員の要望を意識しての出席だが、それに加えて私個人のいきさつもある。
 新庄学園と日本女子大学との関係については、長い間興味を持ちながらも勉強不足で疑問を解決できないでいた。
 2011年に広島支部が後藤祥子先生をお招きして講演をしていただいた。その後の会食中に先生が「昨日は新庄学園へ表敬訪問に行ってきたのよ」とおっしゃった。私は「新庄学園と日本女子大って関係あるんですか」とお聞きした。後藤先生はわかりやすく説明してくださった。しかし、結論を急ぎすぎる私は
 「じゃあ、日本女子大の卒業生の方が新庄学園を創設されたのですか。」
 「いや、そうじゃないのよ。」
 「じゃあ初代の校長先生ですか?」
 「いえ、そうじゃなくてね。」
 周りに他の会員の方々もいらっしゃったし、結局会話は尻切れトンボになった。
 数年後、後藤先生からお手紙をいただいた。
 内容は、成瀬仁蔵の研究をしていらっしゃる片桐芳雄先生が、文献に成瀬仁蔵が故郷山口に帰る途中、広島支部の集まりに出席したとある。この会場の場所を特定するにあたって第三者の意見を求めていらっしゃる。古池さん、あなたは広島に住んでいるのだし、場所の特定は得意なのだから調べてみてちょうだい。とある。なるほど、当時の名称やそこから見えるもの、方角等を考慮すると単純には特定できないようだ。
 文字による古い記録からフィールドワークや古地図を駆使して現在の場所を特定するのは私が長年やってきた研究の手法だ。しかも普段は京都が舞台なのに、今回は地元広島だ。私は俄然張り切って手書きの地図まで添えてお付けしてお返事した。
 果たして私の考察がお役に立てたのかどうか、それどころか両先生方がそこまで望んでいらっしゃったのかどうかも疑わしいところだ。
 本題の周辺を漂っているうちに紙幅が尽きてしまった。
 結論。日本女子大学校国文学部六回生の豊留アサ氏は、新庄学園理事・校長・附属幼稚園園長・新庄高等女学校名誉校長です。

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